なぜ、日本人は対人関係で悩むのか?

人の悩みのほとんどは対人関係の悩みだと言われています。
みなさんも対人関係で悩んだ経験は1度や2度ではないと思います。

特に日本人は「和」を大事にするので、より対人関係での悩みは多いのではないでしょうか。

私自身もよく対人関係では悩みます。
最近も職場の人との関係性が悪くなり、どうすれば改善するのかと、色々とネットや本で調べたりしていました。

その中で、「たしかに、そうかもなー!!」
と納得させられたお話があったので、今日は紹介させて頂きます。


いらないものを手放せば、もっと自由になれる [愛蔵版]捨てちゃえ、捨てちゃえ

「気兼ね」ではなく「思いやり」が大切

誰であったか、教育学者が指摘しておられた。アメリカやインドのような多民族国家と日本のような国家とでは、子どものしつけ方がだいぶ違っている、と。日本の親たちは子どもに、「みんなと仲良くしなさい」と教える。

「和」を大事にするのだ。これに対して、アメリカの親たちは、子どもに、
「いつでも、どこでも、自分の主張をはっきりと言える子どもになりなさい」と教えるそうだ。おもしろい対比である。

日本人が「和」を貴ぶこと、それはそれで決してまちがいではない。しかし、その背景には他人に対する「思いやり」がなければならないのだが、その「思いやり」を、日本人は、他人に対する「気兼ね」と混同していないだろうか・・・・。
そこのところが気にかかる。

「思いやり」と「気兼ね」はまったく違ったものである。

たとえば、会社で同僚が残業をしている。それで自分も、大した用はないのにそれに付き合う。この付き合いを思いやりと考える人がいるのだが、それは違う。その人は自分が残業しているときに、同僚がさっさと帰ってしまえば、きっと腹を立てるにちがいない。前には俺が付き合ってやったのに、「冷たいじゃないか…」というわけである。

そのような「付き合い」は、気兼ねでしかない。気兼ねの裏には、他人も自分と同じようであれ、といった要求が潜んでいるのだ。そうして、他人が自分と違う行動をしたとき、他人を非難するはめになる。
だが、人にはそれぞれ考え方があり、事情がある。そのそれぞれの考え方、事情を理解してあげるのが、思いやりある。

気兼ねをする必要はない。大事なのは思いやりである。

<<みな同じであることを要求するのが「気兼ね」。自分と違う事情を理解してあげるのが「思いやり」。>>

他人をそこまで気にしなくても大丈夫

インドのヒンドゥー教徒は、牛肉を食べない。牛は神さまのお使いだと信じているからである。一方、イスラム教徒は豚肉を食べない。「コーラン」が禁じているからである。
現在、インド人の大部分はヒンドゥー教であるが、しかし、一割以上のイスラム教徒がいる。私はインドのデリーで、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒に2人が仲良く食事をしているのを見た。彼らは、互いに相手が食えない牛肉、豚肉を食べていた。

残酷だ!!

とわたしは思ったが、そのような感想はいかにも日本人的である。他民族国家の人間は、いちいち他人の風習・習慣に付き合ってはおれない。他人は他人、自分は自分、と割り切って生きるのが、他民族国家では「あたりまえ」である。

そういう生き方・行き方しかできないのである。

どうも日本人は、付き合いのよい民族だ。その付き合いのよい日本人の弱点は、他人が自分に付き合ってくれないと、自分は他人に嫌われているのだと思って、落ち込んでしまうことである。日本人は、人に好かれたい、好かれたいと、強迫観念的に思ってしまう。

人に嫌われるということは、日本人のあいだでは、まるで人間失格のように意識されている。
しかし、本当は、そんなに他人のことを気にしないでいいのである。

<<人が自分をどう思うかは自分で決められない。あまり気にしすぎないほうがいい>>

くらべて一喜一憂しても仕方がない

試験の答案用紙を、隣の子どもに覗かれないように腕でかくして、顔を近づけて書いている子がいる。わたしの小中学生のことにもそういう子がいたし、いまの学校にもいるようだ。覗かれて、隣の子どもがいい点をとると、自分が損をすると思うからである。

でも、どうしてそれが損になるのだろうか…。

試験というものは、本来は自分の成長度を確認するためのものである。漢字のテストであれば、以前とくらべて自分はどれだけ漢字を覚えたかを確認し、よかったときは喜び、悪かったときはこれからがんばろうと思う。そのためのテストだ。隣の子が何点とろうが、自分位は関係ない。

それなのに、現在の学校では、子どもたちを競争させるための試験が行われている。そんなことをするから、学校が刑務所さながらになってしまうのだ。子どもたちに学習の喜びがない。子どもたちが学校で味わうものは、他人との競争に勝った、負けたの優越感、屈辱感でしかなくなっている。

これは、農耕民族であった日本人の宿命かもしれない。
日本人は、隣の田んぼばかりを見て暮らしてきた。隣の田んぼより自分の田の稲の実りが悪ければ、どうも恥ずかしいと思い、自分の田が成績がよいと安心する。かといって、あまりに成績がよすぎても、隣のやっかみを買うのではないかと心配する。いつも判断の基準が隣なのだ。

とっくの昔に、日本は農業人口が三パーセント以下になってしまって、日本は農業国ではなくなった。そのかわりに、世の親たちは、稲ではなく子どもの成績のくらべっこをしているらしい。子どもたちがかわいそうだ。

<<「隣と比較して勝ちや負けか」が、判断基準になってはいないか。>>

参照:[愛蔵版] 捨てちゃえ、捨てちゃえ PHP出版

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